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インタビュー:世界が注目する写真家SATOKI NAGATA、光と影が織りなすLights in Chicago

様々な海外のブログで取り上げられていたのを見かけた写真「Lights in Chicago」。

光と影が織りなす深みのあるモノクロの美麗な世界観に思わず吸い寄せられるかのように見入ってしまう存在感がある写真で、ブログ掲載の許可で連絡をしてみたところ、面白いことにその写真の作者SATOKI NAGATA氏にスカイプでインタビューをする展開に。

写真とともにNAGATA氏のメッセージをお伝えできれば。

Lights in Chicagoを始めた当初はレスポンスがなく、残念な気持ちも

シカゴ在住の日本人写真家NAGATA氏は2年半前ほどから、「Lights in Chicago」に見られるようなフラッシュを用いた撮影手法を行うようになり、自身のサイトやライカ関連のブログにも載せたが、残念なことにレスポンスはあまりなかった。

それでも氏は継続して撮り続けた。

Lights in Chicago 01

そして、今年の3月にそれが一変した。
様々なブログで紹介され、サイトへのアクセスが急激に伸び、写真を買いたいという申し出や、Facebookへの友達申請、インタビュー、雑誌掲載、ギャラリーへの招待、講演の依頼などのメッセージが届いた。

この波は、アメリカ、遅れてフランスなどのヨーロッパ、そして南米、アジアと世界に波及し、特にフランス人に多く好まれた。

今まで経験したことのないこの出来事の対応に追われ多忙を極めたNAGATA氏だが、凄く楽しかったという。

もっと面白いシーンに辿り着けるのではないかという自問がLights in Chicagoを誕生させた

ストリートフォトグラフィーは、最初は「たまたま」通りすがりの絵になりそうな人を見つけて撮っていた。だが、後になり、それは「たまたま」によるビジュアル的に作られた物語だということが気にかかるようになる。

その個々の人は当然ながらそれぞれがもっと深い本当の物語を持っている。そこから人を「個人として」撮るドキュメンタリーフォトグラフィーに進み、数年それに集中する。そしてストリートフォトグラフィーをドキュメンタリーを経験した上で考えなおした。

ドキュメンタリーでは「内容」を重要視していたために、今までのストリートフォトグラフィーでは物足りないと感じるようになっていた。
ストリートフォトグラフィーは芸術としてもっと面白いシーンに辿り着けるのではないか、自問しながら芸術的な目を養って次のステップに行く努力が必要だった。

そして、ドキュメンタリーであるけれども、近づかないで何が撮れるのか、近づかずに見かけた人物を浮かび上がらせるには、どうしたらいいのかと考えるようになった。

ドキュメンタリーでは、室内の暗い中で大勢がいる状態でフラッシュを主役に当てれば、その人を浮かび上がらせる写真を作ることができる。
同じことを屋外のストリートフォトグラフィーでも試してみようと思ったのが始まりだった。

Photoshopによる加工や、多重露出、反射による撮影かと聞かれることもあったが、特別な技術は使っておらず、フラッシュと被写体の距離、細かいパラーメーター調整、周りの明るさなどの必要な要素はあるが、カメラのフラッシュのみを用いた手法で撮ったものだ。
興味を持ってくれた人の中には、同じように再現できずに直接その撮影手法を聞きにくる人もいたほどだ。

Lights in Chicago 05

30代前半で自問自答した、自分にとって何がいいのかを

NAGATA氏の出身は名古屋。
カメラに触れだしたのは高校生の頃で、親が持っていたカメラを持ちだして撮影をする程度だった。

その後、博士号を取得し研究者として1992年にシカゴに移り住んだ。
研究者として10年ほど携わり、自身では成功していた方だと感じていたが、30代になり、ふと、つまらないと段々感じるようになった。

自分の中では、研究者はクリエイティブな仕事だと思い選んだのだが、どちらかと言うと政治的に動いたり、どれだけ研究費を獲得するか、論文の数を出すかということに注力していたので、思い描いていた「クリエイティブ」がそこにはなかったからだ。

そして、自問自答した、自分にとって何がいいのかを。
次に何をやりたいのか、様々なことにチャレンジしてみた結果、写真が一番面白いと感じた。

Lights in Chicago 02

転換期を迎える「ダマソ・レイエス」との出会い

ある時、NAGATA氏は海水魚の水槽を購入した後、眺めているうち、ふと写真を撮りたいと思い、1ヶ月間撮り続けた。
しかし、思うように綺麗な写真が撮れず、新型のカメラを購入してみることに。
このカメラの購入がキッカケで街に出るようになり、撮影した写真は、Flickrなどの写真共有サイトに投稿するようになった。

自分の写真についての評価を知りたかったからだ。

そして、ここでNAGATA氏は、あることに気が付く。
自分がいいと思っている写真にはコメントは入らず、逆に自分がそれほどいいと思えない写真に多くのコメントが寄せられると感じるようになった。

「ズレ」を感じたのだ。

そこで、ちゃんと写真について習わないといけないと考え、先生を見つけることにした。
そして、偶然が重なりフォトジャーナリストダマソ・レイエスと出会った。

Lights in Chicago 03

写真は技術が10%、内容が90%

そこから、2週間に1回、ダマソ・レイエスに撮影した写真を見せてスカイプで様々なディスカッションを行い、写真について4年間学んだ。

そして、ダマソ・レイエスから学んだことで、今でも自分の信条としていることに「写真は技術が10%、内容が90%」があげられ、NAGATA氏のサイトに掲載されている言葉は、ダマソ・レイエスから受け継いだものだ。

内容とは、写真という表現手段を用いて、自分がいったいなにを語るのか、なにを伝えるのか、どう伝えるのかということである。

NAGATA氏のブログより

ストリートフォトグラフィーで他人に近づいて写真を撮るのは怖いし、躊躇する

ダマソ・レイエスとのやり取りで直ぐに出された課題が、他人の写真を撮ってこいと無理矢理撮りに行かされたことだった。

最初は、他人に近づいて写真を撮るのは怖いし、躊躇した。
しかし、40人ほど話しかけてやっていくうちに慣れていき、アプローチのさじ加減を経験から学ぶことができた。

大事なのは、他人の写真を撮ることが目的ではない、作品を撮るために躊躇せずにアプローチする必要があり、ストリートフォトグラフィーを撮る写真家としてやっていくなら避けられないことで、苦しいけど目標に向かって走るマラソンと一緒で、何かに挑戦して超えることは自分の力を伸ばすことになる、とNAGATA氏は言う。

また、ストリートフォトグラフィーをやっている人は、ドキュメンタリーをやってみるといいと氏は言う。
家の中まで入り、プライベートな場面を撮ることは当然プライバシー侵害になるのだが、それを避けてしまってはドキュメンタリーは成り立たない。

一歩踏む出さないと写真に面白みが出ないが、なぜ、それをやらなくてはならないのか、プライバシーを侵害される側が納得できるだけの十分な理由がこっちにあるかどうか、芸術家としてきちんと説明できないなら撮るべきではない。

写真家は見る人と世界の架け橋であり、変なところで躊躇してたらだめで、見る人が橋を渡れなくなってしまう。
なぜ、写真を撮るのかということを説明できるようにするべきである、とNAGATA氏は述べる。

Lights in Chicago 04

理由がよく分からないが、妹の「死」を撮り続けた

写真を習い始めた頃にドキュメンタリの課題がでて、2、3ヶ月やっていたが、それを撮るのが辛い時期があった。
ドキュメンタリーは、特定の集団に近づき、仲良くなって受け入れてもらい、友達のような関係になる。

そして、撮る、泣いている姿でも。
人が酷い状況にあっても、カメラを向けねばならない。
当たり前だが、躊躇してしまう。

そういった事をどこまで自分は許容できるのかを学んでいる時に、その訃報は届いた。
一番悲しいことが起きた瞬間だった。

連絡のあった直後の明け方から写真を撮り始めた。
理由がよく分からないが、ずっと写真を撮り続けた。
今でもよく分からないけれども、自分の「それしかできない」という気持ちを記録していたのかもしれない。

そんな悲しいことが起きている時に、なぜ写真を撮る余裕があったのかとよく聞かれるのだが、それは逆だ。
何にもできない、余裕がない、気が動転していた状態だった。
写真を撮ることしかできなかったのだ。

父が亡くなった時にも同様のことをしたことを後で思い出した。
他の親族が亡くなった時は撮らなかった。
妹と父親には特別な思いがあった。
そして、父が亡くなった時に撮った写真が実は自分の初めてのドキュメンタリーでもあったのだと思う。

その後アメリカに戻り、ダマソ・レイエスに言われたのは、ものすごく写真が変わったということだった。

(写真:My Sister : Satoki Nagata)

写真を撮る上で、大事なこと

なぜ、その写真を撮るのか、なぜこの光景を撮りたいのか、そして何を伝えたいのかを本気で考えること。
写真はコミュニケーションであり、何かを表現して誰かに伝えるものであるのだから、伝える内容がなければ意味がない。
写真家の写真でいいと思った写真があったら、何がいいのか、なぜ自分がその写真をいいと思うのか、自分の中のなにに触れたのかを突き詰めて考える。

結局は、写真はセルフポートレートであり、自分の世界の見方、自分がどう見ているのかを表現するもので、そこを曖昧にしていると写真が曖昧になる。

なので何を撮りたいのか、なぜ撮りたいのか、なにを見る人に伝えたいのかをよく考えるべきだ。

写真家を目指している人は、先生を探して学ぶことの検討も

NAGATA氏自身は、レンズを買うお金が減ってもいいから、いい先生を見つけるのがよいと言う。

本よりも早く身につくし、先生はつまづくところを知っており、アドバイスをくれたり、何かあってスランプがやってきた時に先に進めるように押してくれる。
そして10年掛かるものが、5年で済む場合があるからだ。

次なる表現への思考

今回の「Lights in Chicago」で大きく注目されたNAGATA氏だが、今回利用したフラッシュの手法を抜いてそれが評価されるか、内容的に単純になりがちになるのと繰り返すことを好ましいとは考えてはおらず、やはり自問しながら次の表現について様々な思考を張り巡らせているとのこと。

今後の活動予定としては、11月のフランスでの展示会「Expositions MUJÔ-KAN – Galerie DA-END, 17 rue Guénégaud, 75006 Paris」、2014年7月にはイタリアでの展示会を予定している。

また、NAGATA氏は、ライカM9を愛用機としてメインで使用しているが、ライカから特別に手配された M240の動画撮影機能を用いて映画「0.7m The Magnificent Miles」の制作を行うなどの他、複数のカメラメーカーともプロジェクトが進行している。

またフランスの映画音楽家Laurent Levesque氏との「Lights in the City」のレコード制作プロジェクトや、ファッションデザイナーとのコラボレーションも予定されている。

写真で何を表現するのか、何を伝えたいのか、なぜそれを撮るのか、執拗なまでの「内容」へのこだわり、そして常に新しい写真の表現方法を模索し続けるスタンス、これらがドキュメンタリーとファインアートを見事に調和させた光と影になったのではないだろうか。
今後も精力的に活動しているNAGATA氏の新たな写真の表現へのチャレンジを期待したい。

Lights in Chicago 06

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Lights in Chicago 09

Lights in Chicago 10

NAGATA氏がLUMIX GM1を使って撮影した新しい作品も見逃せない。
新型のカメラLUMIX GM1で撮影されたNAGATA氏の写真がやはり凄い!

Satoki Nagata Photography CHICAGO

http://www.satoki.com/