久しぶりのインタビュー記事となるが、今回はNHKアニメなどの制作にも携わった経歴を持ちフリーランスで活躍するイラストレーターであり、アニメーション作家でもある加藤オズワルド氏にお話を聞いてきた。
アニメーション作家として活躍する傍らで、Pixivやツイッターを通じてイラストの創作作品を発表しつつ、コミティアやコミケなどで本を販売し、確実にファンを取り込んでいる。
イラストレーターになりたいとか、映像の仕事をやってみたい人はもちろん、個人的にお薦めの好きなテイストのイラストなので、知らない人にもぜひとも記事とイラストと共にチェックしてもらいたい。
氏の著書。色々と勉強になる。
目次
ブラジルのサンパウロ生まれサンパウロ育ち
ブラジルのサンパウロで生まれ、サンパウロで育った。
南米では大都市のサンパウロで15歳まで生活したが、都市機能や治安という部分では違いはあるかもしれないけど、発展途上国と言われるブラジルでの生活そのものは日本での生活とあまり変わらなかった。
日本食を専門に取り扱うスーパーに行けば、普通に日本食やカップラーメンなんかも手に入るし、海外向けのファミコンも普通に売られていた。ブラジルならではの皆が想像しがちなアマゾンなんかには一度も行ったことない。リオデジャネイロなんかも3回行ったか行ってないかで、バスで6、8時間も掛かり気軽には行けない遠出の旅行になる。
日本にいる時に、昔からブラジル人って言われると違和感を感じたが、それがちょっと解決したのがブラジルにも「江戸っ子」に近い呼び名があり、その都市で生まれその都市で育った呼び名がある。一番有名なのはリオデジャネイロで生まれ育った人をカリオッカと呼び、サンパウロで生まれ育った人をパウリスターノと呼ぶ。サンパウロっ子、と言った方がしっくりきて、今は自己紹介でブラジルのサンパウロ生まれサンパウロ育ちだと言うようにしている。
とにかく勉強が嫌いで日本で高校受験を
ブラジルの日本人学校は中学までしかなく、ブラジルで高校以上に進学するにはインターナショナルスクール(アメリカンスクール)みたいな高校か、現地のブラジルの高校の2つの選択肢だった。
現地のブラジルの高校に進学するにはブラジルの義務教育を受けている必要があったが日本人学校に通っていたのもあり、もう一度勉強し直すのも嫌でこの選択肢はなかった。インターナショナルスクールは基本的に試験も面接も英語だったが、英語が不得意だったので受験は考えなかった。
そうすると、おのずと日本に戻って日本の高校を受験する他になかった。
絵は物心ついた時から描いていた
絵を描くことは小さい時からずっと好きだった。絵を職業にするか、しないかと考えたのは恐らく小学校4年の頃だったかな。
周りはパイロットになりたいとかサッカー選手になりたいと言うんだが自分にはそれは一切なく、かと言ってサラリーマンは想像できなかったので、どうしようってなって、絵を描けるのでとりあえず漫画家って言っとけな感じで言いだした。
それで、そこまで仕事にすることに一生懸命になるとかではなくあくまでも保険で、最悪、絵で飯が食えたらラッキー、それまでにどうにかなって欲しいっていう感じだった。
日本の美大って予備校へ行かないとまず受からない
大学受験の時も勉強が嫌いで実技で入れるところを探したんだけど、絵を好きで描いていたものの絵の教育を受けていなかった。日本の美大って予備校へ行かないとまず受からない。実技教育をクリアしないといけない。その予備校にも行ってなかった。
その中で映画大好きな友だちに映画に連れ回されて、年に何本も観ているうちに映像が面白くなって、映像もやりたいと思うようになった。映像系の大学に行くか、絵の大学に行くかと迷って両方を受けて、受かった方に行こうと。
それで絵の方は、デッサンなどの実技試験がない、入った後も比較的に自由にやらせてくれそうな京都精華大学の当時できたばかりのマンガ学部を受けた。当時、漫画について教えてくれるのはここしかなかった。この大学の推薦枠を受けたが周りを見たら猛者たちばかりで、これはダメだなと思ったら案の定落ちた。笑。
そして、当時は映像については知識が全然ないのにも関わらず、東京工芸大学の映像学部の推薦枠でコンテという言葉自体もよく分からなかったのに試験で適当にコンテを切って面接したら受かっちゃったという。
絵がお金になる仕組みが分かり、絵の事を考えるようになった
大学で絵はずっと描いていたが、結局、勉強という形ではあまりやらなかった。ずっと作ってたのは、クレイアニメーションのコマ撮りやCGとかばかりで、パソコンで絵が描けるのが分かったり、それでインターネット時代が始まり、Webサイトの制作会社にアルバイトに行ったりして、そこでアルバイトの仕事とは別に初めてイラストの仕事を受けて、初めて絵がお金になる仕組みが分かり、これで食っていけると意識して、そこからちゃんと絵の事を考えるようになった。
映像制作ができて、絵ができる人ってあまりいなかったから色んな所で重宝してもらえて、AdobeのFlashが流行りだした頃で素材作りとかもあった。今もそうだけど、ゲーム会社とかってプログラマーとかシナリオライターとかゲームのディレクションをする人はいるけど、映像系の人がほぼいなくてそこに入って演出をし、CGをやっていたのもあり、CGが不得意なところや制約などを理解できたので話が通じやすく、重宝してもらえたのではないかと思う。
音以外の事をほぼ全般でやっている
純粋なイラストの仕事って実はあまりやっていなくて、映像の中の一部、素材だとか、分かりやすいところで背景とか、コンセプトアートとか。たぶんコンセプトアートで関わることが多く、仕事で多いのはアニメをまるっと一個作ることかな。演出で入るとか、キャラクターアニメーションを作るとか。アニメを描くことが多いので、付き合いもイラストレーターよりもアニメ絡みの人が多い。
アニメーターというよりもアニメーション作家と言った方が分かりやすい。イラストレーターというイメージが強いかもしれないが、ゲームとか、テレビとかCM、映画での関わりが多く、自己紹介の時はアニメーション作家というと、「ん?」と思われるのでイラストレーターと言った方が楽だったりする。笑。
仕事によって監督だったり、演出から下を全部やったり、撮影と言って出来上がった素材を組み合わせてコンポジットしたり、キャラクターデザインだけをやったり、言ってみれば音以外の事をほぼ全般でやっている。
最近ではNHKアニメワールド 英国一家、日本を食べる Sushi and Beyondというアニメがあるが、これはイギリス人が日本のスシやテンプラ以外の食べ物を含めた食文化を紹介したエッセイが原作のアニメで、一昨年に一年ほどひたすら料理のパートを全話担当した。
さらにはNHKアニメワールド どちゃもん じゅにあ | NHKの第11話では、5分ほどのアニメだが、シナリオはあって総監督はいたものの、基本的に演出から仕上げ、撮影までを担当させて貰えた。